「黒帯になるまで」 吉野梨央
私が空手を始めたのは六年前、小学三年生の春でした。始めの頃は見ようみまねでやっていましたがそれでも楽しかったのを覚えています。
空手を始めて一年半程たった頃、六級受験をしました。六級受験では審査で初めての組手がありました。私の相手をしてくれたのは蓮田の上級生でした。先輩方はやはり強く前蹴りでとばされるわ後ろ回し蹴りはとんでくるわでボコボコにされました。私は少し、組手がトラウマになりました。それから一年は審査を受けなかったです(笑)。
数年がたちトラウマもすっかり消え、試合にたくさん出場するようになりました。しかし全く勝てなかったです。体格が小さい私は自分より体格が大きな選手とばかり戦っていました。勝つためには工夫が必要でした。
小六になった頃練習試合でも公式戦でも勝てるようになり、ルーキー・トーナメントに出場する資格を得ることができました。中一の春、トーナメントに挑戦した私は三位に入賞することができました。エキスパートの仲間入りをはたしました。うれしかったです。
時はたち中二の九月、一級受験をしました。自分なら受かる、そう信じて疑いませんでした。しかし、結果は仮級。空手人生最大の挫折でした。結果を知った日は一日中泣きました。それほど悔しかったです。でも、考えてみれば受からなくて当然といえる内容だったと思います。一番良くないのは気合いでしょう。一級受験で気合を指摘されるなんて・・・。その時やっと気づけた気がします。上級生として、帯の責任・・・。それからは毎時間必死に稽古をしました。今まで以上に空手と向き合いました。それから約三か月後、一級になることができました。全力で稽古をしていくうちに今までよりもっと空手が楽しくなりました。
次は黒帯だ・・・。そんな時、世間で新型コロナウィルスが流行し始めました。空手の稽古も今まで通りとはいかず思うように練習できない日が続きました。そんな中でしたが私は黒帯受験をすることにしました。
色々な不安はありましたが私はもう中学三年生、時間がありませんでした。厳戒態勢の中行われた審査の結果は再審査でしたが一カ月後、なんとか合格することができました。
黒帯受験といえば十人組手ですが感染拡大防止のため行うことができませんでした。黒帯の壁としてある十人組手ができなかったことは少し残念だしこの壁を乗り越えてきた先輩方に合わせる顔がないです。ですが十人組手の代用としてミット打ちはやりました。十人組手に相当するだけあってとてもキツかったです。しばらくミットを見たくありませんでした(笑)。
そんなこんなで黒帯になったわけですが、ここで終わりだとは思っていません。これからも気をぬかずに日々精進し、誰が見ても「あいつは正真正銘の黒帯だ」そう言われる黒帯になりたい、いや、なってみせます。
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石川こうき (土曜日, 17 10月 2020 21:24)